
第143回
京の人形

第143回
京の人形

『享保雛』江戸時代
京阪的京都ツウのススメ
第143回 京の人形
京で生まれ愛されてきた人形
表情豊かで見る人の心を癒やす京都生まれの人形を、らくたびの田中昭美さんがご紹介します。
京の人形の基礎知識
其の一、
人形の始まりは、人間の身代わりに厄(やく)を受け負う人形(ひとがた)だと言われます
其の二、
厄除けの風習や節句の行事から、ひな祭りが生まれました
其の三、
人形作りが盛んになった江戸時代、京都では様々な人形が作られました
身代わりとなり災いを祓(はら)った人形(ひとがた)
現代の人形には、玩具や観賞用のものがありますが、その始まりは人の厄を受け負う役割を持つものでした。平安時代、宮中では子供を災いから守るため、枕元 に天児(あまがつ)という身代わり人形を置く風習がありました。3月の上巳(じょうし)の節句には、紙やワラで作られた人形(ひとがた)に厄を移し川に流す行事も行われました。こうした風習がやがて子供の成長を願い人形を飾るひな祭りとなります。「ひな」とは子供が遊んだ人形を指し、『源氏物語』にも登場する「ひひな」に由来する言葉だと言われます。
京都から各地に広まった人形
人形作りが盛んになったのは江戸時代と言われ、京都でも様々な人形が作られました。代表的なものに、ふっくらした体つきと白い顔料を塗り重ねた艶のある肌が特徴の御所人形や、素朴な郷土人形である伏見人形があります。御所人形は宮中から大名への贈与品として、また伏見人形は伏見稲荷大社参詣の土産や大坂から出航する北前船の積み荷として、京都から各地にもたらされました。
京のひな人形物語り
現在のように飾って楽しむひな人形が登場したのは江戸時代です。
様々に分類されるひな人形から京都ゆかりのものを紹介します。
享保雛(きょうほびな)

享保年間(1716〜36年)に町方で流行し、京都から全国に広まったと言われます。衣装が豪華で、大型化したのも特徴。高さが約80cmもある人形も作られましたが、幕府によりぜいたくが禁じられるようになると、次第に小ぶりになりました。
次郎左衛門雛(じろうざえもんびな)

京都の人形師(にんぎょうし)の雛屋次郎左衛門が考案したひな人形で、宝暦年間(1751〜64年)には江戸でも流行したと言われます。
細い目や鉤鼻(かぎばな)と言われるくの字の鼻、おちょぼ口のある丸い顔が特徴です。
有職雛(ゆうそくびな)

天皇などが重要な儀式の際に着用する正装の束帯(そくたい)など、宮中の衣装を正しく再現したひな人形です。宮中で装束の着付けなどを担った山科家・高倉家の監修により宝暦・明和年間(1751〜72年)に生まれました。

江戸で好まれた段飾りに対して、京都や大坂では京都御所の紫宸殿を模した御殿の中にひな人形を飾る豪華な「御殿飾り」が普及しました。江戸時代末期から昭和中期まで作られ、人形のほかに台所道具などが飾られることもあります
京生まれの人形あれこれ
宮中で飾られた人形や、仏師の手によると言われるものなど、様々な人形があります。
御所人形
宮中では祝い事の際に飾られたほか、土産として地方の大名家に贈られることもあり、拝領人形やお土産人形とも呼ばれました。子供のあどけない表情や3頭身の体が特徴です。

「烏帽子(えぼし)被り童子」江戸時代末期。全体がころんと丸みをおびた形で、つくねと呼ばれる小さめの御所人形です

「春駒(はるこま)持ち童子」江戸時代末期。額に描かれている文様は、水引手と言われる飾り模様です
代々皇女が住職を務めた宝鏡寺(上京区)には、御所から贈られた人形が数多く所蔵されています。22代門跡の本覚院宮に贈られた「万勢伊(ばんぜい)さん」は、関節が曲がり正座などもできる三折(みつおれ)人形で、三代にわたって愛蔵されたと伝わる人形です
嵯峨人形
江戸時代に生まれた、木彫りの人形で彩色が施されています。からくり仕上げのものや、庶民の風俗を題材にしたものがあり、芥子(けし)粒のように小さなことから芥子人形と呼ばれるものもあります。嵯峨近郊の仏師が作ったと言われますが定かではありません。

「座り童子」江戸時代後期。裸の子供の人形・裸嵯峨は、後の御所人形に影響を与えたと言われます
加賀人形
柳で作られ、顔や体は木肌を生かし、衣装は縮緬(ちりめん)などが使われています。元文年間(1736~41年)に、上賀茂神社(北区)に仕えていた人物が、神事用の箱を作った際に余った木を利用して人形を作ったのが始まりと言われています。

「越後獅子」江戸時代末期。人形のサイズは数cmほど。賀茂人形はその小ささにも特徴があります
伏見人形
古くから土器が生産されていた伏見で作られた土人形が伏見人形です。教訓話や縁起物などをテーマにした素朴で味わい深い人形が作られています。

饅頭喰い人形。「父母のどちらが好きか」という問いに、子供が饅頭をふたつに割り「どちらがおいしい?」と問い返したという教訓話から生まれたもの
江戸時代後期、伏見街道沿いには人形を作る窯元が約60軒ありましたが、今は伏見稲荷大社の近くに、寛延年間(1748~51年)創業の丹嘉が残るのみです
写真協力:博物館 さがの人形の家

ナビゲーターらくたび 田中 昭美さん
らくたびは、京都ツアーの企画を行うほか、京都学講座や京都本の執筆など、多彩な京都の魅力を発信しています。
制作:2020年3月

