1881(明治14)年、第3代京都府知事・北垣国道は、びわ湖から京都に水を引く琵琶湖疏水工事を計画しました。衰退著しい京都の復興を目指した琵琶湖疏水は、生活用水のほか運輸(舟運)、水力発電、灌漑(かんがい)、防火などに利用し、京都の産業振興を図ろうとした一大事業でした。工事は1885(明治18)年に着工。第1期工事には当時の京都府の年間予算の約2倍という莫大な費用が投入され、延べ400~600万人が携わりました。
びわ湖から京都に水を引くという構想は、古くは平清盛の時代からあり、豊臣秀吉や徳川家康、さらに高瀬川を開削した角倉了以によっても計画されたことがありました