源氏物語、方丈記、平家物語・・・。
古典文学にも描かれてきた
隠れ里・大原の物語。

日本仏教の母なる霊峰・比叡山のふもと、京の都の北東鬼門に位置する大原は、第55代文徳天皇の第一皇子・惟喬親王(これたかしんのう)や、「ゆく河の流れは絶えずして」のフレーズで知られる『方丈記』作者の鴨長明(かものちょうめい)など、古来、政争や戦乱から逃れてきた貴族や僧侶たちがひっそりと暮らした隠れ里でした。


『源氏物語』では、光源氏の子・夕霧が落葉の宮に想いを告げるため向かった「小野の山荘」、落葉の宮と夕霧が交わした歌に綴られる「音無の滝」、光源氏の正妻・女三の宮が出家した場所が大原であると考えられています。

『平家物語』では、建礼門院徳子の悲話が有名です。政権を掌握し栄華を極めた平清盛の娘として生まれ、高倉天皇の妻となり、さらに安徳天皇を生み皇后となって幸せの絶頂にいた徳子でしたが、源平の争乱で一転。壇ノ浦の戦いの折、目の前で海に沈みゆく我が子を助けられないばかりか自分だけ生き残ったことを悔いて出家し、大原の寂光院で隠棲生活を送ることになりました。

「大原女」「しば漬」「寂光院」など、現在の大原にはこの建礼門院とゆかりの深いものが数多く見られます。千年の時を越えて紡がれてきた隠れ里の物語がいまも大原には息づいています。
建礼門院に仕えた女官がルーツ。
着付け体験で大原女に変身。

藍色の木綿の着物をまとい、頭に手ぬぐいと柴の束をのせた「大原女」。建礼門院に仕える阿波内侍(あわのないじ)が身に着けたのがルーツと伝わる里の女性たちの仕事着であり、『小倉百人一首』を編さんした藤原定家の和歌、葛飾北斎の浮世絵、円山応挙の日本画など各時代を彩る作品からもその姿がうかがえます。

近代になりガスや電気が普及するまでは、台所のおくどさん(かまど)に火をともす柴や農産物を売り歩いたことも。「昭和初期、母が最後の大原女でした。山で柴を伐り出す仕事は女性の務め。子どものころ大八車の後ろを押して手伝ったのを覚えています」と話すのは、着付け講習などを行い、大原女の伝統を継承することに力を尽くす大原観光保勝会の砂山綾子さん。衣装は事前予約で実際に身に着けることができ、大原女姿での里山観光もおすすめ。楚々とした美しさと機能性をあわせ持つ大原女姿を肌で感じ、先人たちに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
勝林院に伝わる “証拠の阿弥陀”

勝林院の本尊である阿弥陀如来は、「南無阿弥陀仏と一心に念仏を称えれば極楽浄土へ往生できる」とする法然上人の主張を、手のひらから光明を放って支持したという逸話から、「証拠の阿弥陀」とも呼ばれています。
勝林院 京都市左京区大原勝林院町187075-744-2409
9:00〜16:00
拝観料300円
大原バス停下車 徒歩約20分


