八坂神社×比叡山延暦寺
「八坂礼拝講」特別参列
〜大阿闍梨の御加持と学僧と神職による解説で触れる、神仏習合の響き〜
神職と僧侶が合同で国家安寧と疫病退散を祈る儀式「八坂礼拝講(やさからいはいこう)」を特別参列席にてご礼拝いただきます。 天台宗の学僧と神職による事前講話やライブ解説を通して、祈りの真髄に触れながら、後世に伝えるべき神仏習合の歴史を掘り起こします。 舞殿での法要を間近でご参列いただけるほか、千日回峰行を満行された北嶺大行満大阿闍梨による御加持を頂戴します。
開催日時・場所
- 日 時
- 令和8年7月21日(火)
15時25分〜18時
- 会 場
- 八坂神社(事前講話: 常磐新殿 / 儀式参列: 本殿前西側付近の特別参列席)
プログラム
- 第1部:事前講話 ―神道と仏教の視点から紐解く「祈り」の原点
- 八坂神社・福本権禰宜、比叡山延暦寺・長谷川裕峰師による「神仏習合における祈り」等の解説
- 第2部:叡南浩元 大阿闍梨による「御加持(おかじ)」
- 第3部:八坂礼拝講開式
- 神道儀式は福本権禰宜、仏教法要は長谷川師のライブ解説と共に礼拝
- 閉式・現地解散
講師紹介
長谷川 裕峰師
岡山市出身。平成28(2016)年 大阪大学大学院文学研究科博士後期課程修了・博士(文学)。現在は、叡山学院准教授、大阪大学招へい研究員、天台宗典編纂所編纂研究員、天台学大辞典編纂室編集委員、比叡山高校山家寮寮監、社会福祉法人和光会理事を務めながら、宗内外の後進育成に従事。
福本 翔一郎氏
滋賀県出身。皇學館大学を卒業後、平成26(2014)年に八坂神社に奉職。祭儀課、管理用度課を経て現在は総務部奉賛課兼庶務課にて崇敬会や神社広報などを担当。
レポート
京阪沿線にある神社仏閣や地域と連携して、後世に残すべき文化を探る神仏歴史講座・特別体験「京阪沿線社寺巡礼」。第3回目は、祇園祭を催行中の京都・八坂神社で、神職と僧侶が共に祈りを捧げる神仏習合の儀式「八坂礼拝講(やさからいはいこう)」への特別参列を実施いたしました。暑い日となりましたが、参加者は39名。神職と僧侶それぞれのライブ解説と共に、深淵な祈りに立ち会っていただく貴重な機会となりました。
第1部:事前講話 ―神道と仏教の視点から紐解く「祈り」の原点
「八坂礼拝講」への参列を前に、常磐新殿において事前の講話が行われました。講師として、八坂神社の福本翔一郎権禰宜、そして延暦寺一山華王院住職・叡山学院准教授の長谷川裕峰先生が共に登壇され、それぞれの視点から「神仏習合の祈り」が紐解かれました。
【神道から見た神仏への祈り】
(八坂神社・福本権禰宜)
講話の前半は福本権禰宜より、神道における祈りの起源について語られました。日本古来の神道は、山や岩、木など万物に神が宿ると捉える「自然崇拝」を根源としています。たとえば、私たちが家や建物を建設する際に行う地鎮祭は、その土地に立ち、榊(さかき)に神を招いて安全を祈るという古代祭祀の形を受け継いでいます。また、奈良県大神神社(おおみわじんじゃ)のように現在でも本殿を持たず、御神体である三輪山に向かって祭祀が行われている神社もあります。6世紀の仏教伝来以降、神道は仏教の影響を受けるようになり、本殿などが設けられるようになっていきます。八坂神社の本殿は、本来別棟である本殿と拝殿をひとつの屋根で覆って一体化させた「祇園造(ぎおんづくり)」という形式ですが、 これも仏教の影響を大きく受けています。また、日本古来の神々が仏教や寺院を守護するという考えも生まれ、寺院には鎮守社が設けられるようになり、平安時代には日本古来の神々は仏教の仏の仮の姿「権現(ごんげん)」であるとする「本地垂迹(ほんじすいじゃく)」という思想が生まれました。八坂神社の主祭神は素戔嗚尊(すさのをのみこと)ですが、本地仏は薬師如来であり、長きにわたり牛頭天王(ごずてんのう)の名で祀られてきました。このように神道と仏教がひとつに合わさった信仰のあり方を神仏習合といい、明治時代初頭に神仏分離令が出されるまで、この形で信仰が受け継がれてきたのです。
八坂神社は7世紀に創祀されたと伝えられています。その後、9世紀には奈良興福寺の僧・円如が薬師堂を建立し、観慶寺としました。同時に鎮守社として素戔嗚尊が祀られました。当時は法相宗寺院だったのですが、延暦寺の勢力が次第に大きくなる中で、974(天延2)年、第18代天台座主元三大師良源によって比叡山延暦寺の別院となります。当時、八坂神社は祇園社(祇園感神院)と呼ばれていましたが、強訴(朝廷・幕府などへの抗議行動)の場として、あるいは国家鎮護を祈祷する場としてなど、重要な役割を果たしていたことが数々の記録に残されています。時代が下がって1571(元亀2)年の信長による比叡山焼き討ち以降、延暦寺の勢力衰退に伴い強い支配からは離れ、祇園社独自の発展を遂げることになりますが、その深い結びつきは変わらず保たれました。
講義の場ではここで幕末期の祇園社の様子を描いた『花洛名所図会』が紹介されました。そこには薬師堂や元三大師(堂)が描かれており、祇園社が長く神仏習合の祈りの場であったことが良くわかりました。
日本の信仰は明治政府によって大きく変化させられます。明治の幕開け(1868年)とともに、それまで一体であった神社と寺院を分離する「神仏分離令(神仏判然令)」が明治政府によって定められます。これにより祇園社は「八坂神社」と改名され、本殿に描かれていた薬師堂や元三大師堂などの仏教要素は撤去、牛頭天王という仏教由来の神名も廃されて神仏習合の連綿たる信仰は崩壊の危機を迎えました。
現在、八坂神社では、明治時代以前の「祇園感神院」時代の信仰を復元し、神仏習合の精神を現代に生かす「祇園感神院復元事業」を推進しています。その中で、2024(令和6)年より比叡山延暦寺との神仏合同の祭典である「八坂礼拝講」を再興しています。神職と僧侶がともに神々に世界平和、国家安寧、疫病退散を祈願します。いま、世界の紛争や戦争や地球温暖化による異常気象が続く現代だからこそ、万物に感謝する日本古来の自然との共生の考え方を大切にし、神社と寺院はそれぞれ異なる役割を持つものですが、ともに祈りを捧げていきたいと温かく力強いメッセージで講話を結ばれました。


【祇園社と比叡山延暦寺の歴史】
(比叡山延暦寺・長谷川裕峰師)
比叡山延暦寺と八坂神社(かつての祇園社・祇園感神院)の歴史的なつながりや神仏習合における祈りについて仏教の視点でお話をいただきました。
まず、今回参列する「八坂礼拝講」の名称にある「礼拝講」とはどういう意味なのでしょうか。これは「山王礼拝講(さんのうらいはいこう)」からきている言葉だと長谷川師は解説を始めました。山王とは滋賀県大津市にある、比叡山延暦寺の鎮守社日吉大社の神のこと。日吉大社の拝殿で行われる法華八講を山王礼拝講といい、山王礼拝講では法華経を8つに分けた講義の後、問答が行われます。 一方で八坂礼拝講は少し意味合いが異なります。平安時代、非業の死を遂げた人たちが怨霊となって災いを巻き起こすという御霊信仰が信じられていました。こうした怨霊を鎮め、御霊として祀るための儀礼を御霊会(ごりょうえ)といいました。御霊会では荒ぶる御霊を鎮め、国家を守護する神様へと転換しようと、神々の前で僧侶が読経をしたのです。


このような例は他にもあります。まず北野天満宮。15世紀まで祭神菅原道真の御霊を鎮めるべく比叡山延暦寺の僧侶を招いて神仏習合形式での北野御霊会が開催されていました。これは応仁の乱(1467~77年)で途絶えていたのですが、新型コロナウイルス感染症の大流行の際、約550年ぶりに再興されました。さらに、大分県の宇佐八幡宮では伝教大師最澄が法華経を奉納したと伝えられており、現在は10年ごとに法華三昧(法華経の教えを学び、問答を行う仏教儀礼)が行われています。新しい例もあります。東京の湯島天満宮では2025(令和7)年に天台宗心城院の僧侶と共に菅原道真の御霊を慰め、また国家安寧を願い神仏習合の祈りを捧げました。
この後、山王礼拝講の式次第をもとに礼拝講の構成が解説されました。式次第は大きく3つに分解でき、最初と最後のブロックは神道儀式、それに挟まれるように仏教儀式が行われます。講義では映像を見ながら法華八講(問答)の様子の解説を受けました。この部分でも神道儀式については福本権禰宜に解説していただくなど、講義は神道から、仏教から、それぞれの視点で一つの儀式について解説され、参加者の皆さんは静かに耳を傾けておられました。法華八講は、講義、問いかけ、問いかけの確認、回答を繰り返す形で進んでいきますが、映像とともに解説してくださるので、参加者にとって、法華八講への理解を深める貴重な機会となりました。
第2部:叡南浩元大阿闍梨による「御加持(おかじ)」
事前講話の締めくくりには、参加者にとって極めて貴重な瞬間が訪れました。 叡南浩元大阿闍梨様(北嶺大行満大阿闍梨)が、講話会場へ入られました。 その瞬間、それまでとは異なる厳かな空気が一瞬にして広がります。参加者の皆様は深く低頭して手を合わせ、阿闍梨様の声に耳を傾けるなか、言葉では表し難い不思議な感覚に包まれておられました。

立印加持(りゅういんかじ)により心願が成就するように祈願し、その後数珠をかざすことで仏徳とお加持を授けていただきました。加持とは、密教の修法(しゅほう)の後などに行われる儀式で、仏様と一体となった大阿闍梨が媒介となり、私たちに功徳を与えてくださるものです


第3部:八坂礼拝講開式
時刻は夕刻17時。参加者の皆様は本殿西側の特別席へ場所を移し、八坂礼拝講に参列しました。手元にあるのは事前講話で手渡された、この会のために特別に作られた式次第。ここから全員がイヤホンガイドを装着し、本殿内で行われる神道の儀式と舞殿(ぶでん)で行われる僧侶による法華経の読経を福本権禰宜(神道視点)と長谷川先生(仏教視点)のライブ解説で儀式の流れや意味をより深く理解しながら参列しました。

特別席へ向かうと、境内には多くの一般参列者の姿がありました。南楼門に目を向けると、神職と僧侶が向かい合い、それぞれ一列に並んで深々と一礼を交わす「対揖(たいゆう)」が行われていました。神社の境内に僧侶の姿があるという、普段ではなかなか目にすることのできない光景を前に、これから始まる神仏合同の儀式への期待と感動に、胸が高鳴りました。


一礼の後、神職は本殿へ、僧侶は舞殿へ昇殿されました。開会の辞が宣言された後、その場を清めるための儀式「修祓(しゅばつ)」が行われました。祓詞が奏上される中、厳かに八坂礼拝講が始まりました。普段は開けられることのない内々陣の御扉が開かれ、雅楽が奏でられる中、神職により神饌がお供えされると、八坂神社の宮司様が祝詞を奏上されます。その頃、まるで時を合わせるかのように、天から雨粒が…。参列者の皆様は突然の雨に少し驚かれていましたが、これも恵みの雨として受け止め、再び静かに頭を垂れておられました。


神道儀式が終わると、次は舞殿での仏教儀式へと移ります。 今回の八坂礼拝講における仏教法要では、法華三味(ほっけざんまい)が奉修されました。法華三昧は天台師智顗(ちぎ)が体得した「法華経」の真髄に達する境地を指す言葉で、「法華経」を読誦することによて自らの罪を懺悔する修法です。僧侶が一心に修行に励む姿を神様にご覧いただくことが、この礼拝講における仏教儀式の大きな意義となっています。
法華三昧終了後、叡南浩元大阿闍梨による立印加持が執り行われました。激しく降り続く雨音と真言の響きが重なり合う中、厳粛な空気に包まれ、神仏へ向けた深い祈りの力を感じることができました。

御加持の後は再度、神道儀式となります。宮司に続き、参列の関係者が順に玉串(たまぐし)を神前に奉納し、二拝二拍手一拝の作法に則って拝礼します。玉串とは榊(さかき)の小枝のことで、神への敬意を表すとともに、神威(お力)を授かるために捧げるものとされています。仏教の僧侶や関係者の方々が、神道式の作法で厳かに玉串を奉納する姿は、まさに神仏習合の美しい調和を象徴する光景でした。
玉串の奉納の後、内々陣の御扉を閉め、宮司様の一拝に合わせて参列された皆さんも神様への最後の祈りを捧げました。すべての儀式が終わった頃、不思議なことにそれまで激しく降っていた雨が上がり、夏の澄み切った空が広がりました。神職と僧侶がともに祈りを捧げるその姿、そして自然の中で営まれた儀式は、まるでかつての神仏習合の祈りの姿を、現代によみがえらせたかのようでした。


参列を終えた皆様からは、「解説があったからこそ、ただ見学するだけではわからない神仏習合の本当の美しさに感動した」「本殿の下に棲む『青龍(龍神様)』のお力をまさに恵の雨として全身に授かったような、心がすーっと洗われる時間でした。」といった温かいお声が寄せられました。


最後に、かつての神仏習合の時代、この場所で人々が捧げていた祈りの本来の姿が、今、令和の京都に鮮やかに蘇っています。
7月21日の夕刻は、八坂神社へと足を運んでみてください。蝉時雨と夏の夕暮れの風、そして神職と僧侶が共に響かせる祈りの美しさを、ぜひ五感で体感していただければ幸いです。
ご参列・ご協力いただいたすべての皆様に心より感謝申し上げます。

八坂礼拝講
(やさからいはいこう)八坂神社が祇園社・祇園感神院と呼ばれていた時代、同社は比叡山延暦寺の末寺であり、神社でありながら僧体の人々が奉仕していました。その八坂神社において、御縁ある比叡山延暦寺と共に、神仏分け隔てなく国家の安寧と疫病消除を祈らんとする行事が八坂礼拝講です。暑い夏の最中ではございますが、皆様も心静かに国の平らかなることをお祈りいただければ幸いです。
- 日時
- 2026年 7月21日(火) 17:00斎行
- 会場
- 八坂神社 本殿および舞殿
(京阪電車「祇園四条」駅下車 徒歩約5分)

バックナンバー
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