「 日本の文化 」 寛永期に花開いた ここがすごい!
応仁の乱から本格化した戦乱の世が終わり、
朝廷と徳川幕府が手を携えることで、
安定的な平和が到来した江戸時代初期。
寛永年間(1624-44年)に代表される時期の京都を中心に、
絵画や書、工芸、庭園、茶道・華道・香道などの芸道、出版など、
さまざまな芸術や文化が花開きました。
寛永期に発展した
文化芸術
今から約400年前、大坂夏の陣から11年目となる1626(寛永3)年に、寛永行幸が行われました。徳川幕府の2代将軍・徳川秀忠(ひでただ)は娘の和子(まさこ)を入内(じゅだい)させて後水尾(ごみずのお)天皇の中宮とし、また3代将軍・徳川家光(いえみつ)とともに二条城に後水尾天皇を招いて、公武の融和を大々的に示しました。
寛永行幸のために、二条城は大きく改修されました。また戦乱で荒廃していた社寺では、数多くの建物が再建され、現代に続く京都の景観が整備されました。そしてこの頃、後水尾天皇を中心に公家や武家、僧侶、町衆の身分を超えた交流が行われ、創造的で多様な文化と芸術が生まれました。
王朝文化の復興や武家文化との融合を背景に、この時育ったのが、季節と調和を愛で、静けさや余白、簡素さの中に美を見いだす感性です。こうした価値観や、それに裏付けられた芸術と芸道は、印刷技術や流通の発展とともに、広く社会に浸透していきました。
現代の私たちが「日本らしい」と感じる美意識や文化様式は、寛永期に、その輪郭が形作られたものが少なくありません。寛永を知り、日本文化の源流を訪ねる旅に出かけてみませんか。
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絵画
俵屋宗達(たわらやそうたつ)や狩野探幽(かのうたんゆう)らが活躍し、
余白を重視したデザイン性の高い画面構成の絵が登場。後世にも影響を与えました。
狩野探幽
名古屋城本丸御殿上洛殿上段之間襖絵
帝鑑図《高士渡橋》
江戸時代 1634(寛永11)年
名古屋城総合事務所蔵
俵屋宗達
《風神雷神図屏風》
江戸時代 17世紀
建仁寺蔵
写真提供:京都国立博物館 -
書
「寛永の三筆」といわれる近衞信尹(このえのぶただ)、松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)、本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)らが、平安時代の書に学び新しい書風を確立。華やかな料紙(書写用紙)や絵と融合した作品も生まれました。

松花堂昭乗
《三十六歌仙帖》より
江戸時代 17世紀
東京国立博物館蔵
出典:Colbase
(https://colbase.nich.go.jp/)
俵屋宗達/画 本阿弥光悦/書
《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》(部分)
桃山時代 17世紀
京都国立博物館蔵 -
華道
池坊専好(いけのぼうせんこう)(二代)などの名手が現れ、花が鑑賞の対象に。
指南(しなん)書も登場し、町衆も楽しめる生活芸術へ発展していきました。
《池坊専好立花図》
江戸時代 17世紀
華道家元池坊総務所蔵 -
漆芸
この頃から西欧に輸出され、高い品質が評価されました。
斬新な素材や構図による「光悦蒔絵(まきえ)」も生まれました。
本阿弥光悦
《舟橋蒔絵硯箱》
江戸時代 17世紀
東京国立博物館蔵
出典:Colbase
(https://colbase.nich.go.jp/) -
陶芸
多彩な焼き物が盛んに作られました。京焼の祖と言われる野々村仁清(ののむらにんせい)は、
華やかな色絵や幾何学文様、大胆な造形が目を引く美しい器を生み出しました。
野々村仁清
《白釉円孔透鉢》
江戸時代 17世紀
MIHO MUSEUM蔵
※MIHO MUSEUMにて展示
企画展「花ひらく寛永の美」
9/26(土)~12/6(日)
野々村仁清
《色絵月梅図茶壺》
江戸時代 17世紀
東京国立博物館蔵
出典:Colbase
(https://colbase.nich.go.jp/) -
小袖
現在の和服の原型のひとつ「小袖(こそで)」に、背面全体を大胆に染め分けるデザインが誕生。
後の華やかな「寛文(かんぶん)小袖」につながりました。
《紺黄染分綸子地竹栗鼠梅文様振袖》
江戸時代 17世紀
文化庁蔵 -
出版
印刷技術の発展により、庶民も本に親しむように。
芸術性の高い装飾が施された「嵯峨本」はそれに先駆けて登場し、古典文学の出版・普及の土台となりました。
嵯峨本『徒然草』の影印複製本
1934(昭和9)年
起業家奥山春枝刊
個人蔵