鴨川に架かる「橋」を訪ねて
七条大橋しちじょうおおはし

鴨川に架かる橋の中では最古となる、鉄筋コンクリート造の五連アーチ橋。市電敷設のため、荷重に耐えられる堅牢な近代橋として1913(大正2)年に完成しました。1987(昭和62)年に改修された高欄は、三十三間堂で行われる「通し矢」がモチーフとなっています。
正面橋しょうめんはし

五条大橋~七条大橋の間に位置。豊臣秀吉が建立した方広寺大仏殿の正面に通じる正面通(別名・大仏正面通)にかかっています。正面橋を渡って東へ進むと、方広寺や豊国神社があり、その後ろには「大仏殿跡緑地公園」が広がっています。
五条大橋ごじょうおおはし

もともと五条大橋は、今の松原通の位置にありましたが、豊臣秀吉が方広寺大仏殿を造営する際、参道として今の位置に移築されました。現在の橋は1959(昭和34)年に架け替えられたもので、擬宝珠(ぎぼし)に橋の由来が刻まれています。
松原橋(元の五条大橋)まつばらはし

平安時代、当時の五条通は現在の松原通であり、松原橋は五条大橋(通称・五条松原橋)と呼ばれていました。豊臣秀吉が新たに「五条大橋」を架橋した際、松原通にあった五条大橋は松原橋と名称を改めました。
三条大橋さんじょうおおはし

室町時代の都の様子を描いた『洛中洛外図屏風』にも登場。戦国時代になると豊臣秀吉が63本の切石(きりいし)を用いて架け替え、日本初の石柱橋となったといわれています。橋の欄干に付けられた擬宝珠(ぎぼし)には、豊臣の刻印が残っています。
亀の飛び石かめのとびいし

鴨川には、河床を安定させる「帯工(おびこう)」の上に飛び石が設置されており、水位の低い時には渡ることもできます。賀茂大橋~荒神橋間には亀型、丸太町橋~二条大橋間には舟型・千鳥型の飛び石があり、風景のアクセントにもなっています。
賀茂大橋かもおおはし

賀茂川と高野川が合流する地点に架かる橋。この辺りから中書島駅の西側で桂川と合流するまでが一般に鴨川と呼ばれます。橋の上からは大文字山、橋の下には鴨川デルタと、京都らしい風景を楽しむことができるスポットでもあります。
「鴨川に架かる「橋」を訪ねて」は、京都ツウのススメ「鴨川の橋」でもご紹介しています。