粟田純德 粟田純德
穴太積みの石垣 穴太積みの石垣
石垣と向き合う粟田純德 石垣と向き合う粟田純德
仁村紗和 仁村紗和
旧竹林院から庭園を望む二人 旧竹林院から庭園を望む二人
わたしも、おけいはん
第十五代目 穴太衆頭Suminori Awata
粟田純德

Prologue

滋賀県大津市の比叡山麓に位置する「坂本」エリアを訪れると、その静謐な佇まいに深い感銘を受けます。比叡山延暦寺の門前町として栄えたこの地には、旧竹林院をはじめとする趣深い「里坊」が並び、それらを囲むように表情豊かな「穴太衆(あのうしゅう)積」の石垣が整然と続きます。秋から冬にかけて、日吉大社や西教寺で行われるライトアップは、現代の「夜さんぽ」やSNSの「映え写真」のメッカとして多くの観光客を魅了しています。

今回は、自然石を生かした伝統技法「穴太衆積み」を受け継ぎ、日本の美しい石積み文化を未来へつなぐ活動をされている、穴太衆十五代目頭・粟田純德(あわた すみのり)氏に、「おけいはん」としてご登場いただきました。

かつて比叡山延暦寺の営繕を担い、織田信長をはじめとする戦国武将たちに重用された職人集団・穴太衆。
自然石そのものの形や性質を見きわめ、図面なしで緻密に組み上げるその技法は、地震や豪雨にも耐えうる堅牢さを誇ります。
最盛期には数多く存在したこの穴太衆の石工職人も、一国一城令を原因の一つとした築城の衰退とともに担い手が激減。現在ではその圧倒的な技と精神を守り続ける職人は極めて稀です。

今回のプロジェクトでは、穴太衆の石積み発祥の地である滋賀県大津市坂本を舞台に、石垣が息づくまちの風景や、自然と向き合いながら石を積み上げる「穴太衆」の仕事への思いなどを撮影。粟田純德氏と俳優・仁村紗和さんとのおけいはん同士の対談では、先代から受け継いだ技術と精神、何百年先の景色をつくる職人としての覚悟についてお話しいただきました。

粟田純德 粟田純德

第十五代目穴太衆頭

粟田 純德(あわた すみのり)

滋賀県大津市坂本に拠点を置く、第十五代目穴太衆頭。人間国宝の祖父・粟田万喜三氏に師事し、伝統的な「穴太衆積み」を継承。現在は株式会社粟田建設代表として、城郭や社寺の石垣修復・築造を手がけつつ、全国各地で講演や技術継承にも尽力。海外にもその伝統技術を広げている。自然石を積み上げる先人の知恵と高度な技術を未来へつなぎながら、石積み文化の魅力を広く発信している。

Special Interview

未来へ残したい景色が、ここにある。

2026年6月、比叡山の麓・坂本にある旧竹林院の茶室を訪ねました。
この日、俳優・仁村紗和さんがお会いしたのは、穴太衆十五代目・粟田純德さん。茶室から望む庭園には、穴太衆が積み上げた石垣が静かに佇んでいます。

あいにくの雨模様でしたが、しっとりと濡れた木々や苔、そして石垣は、晴れの日とはまた違う美しさを見せてくれました。

祖父から受け継いだ技術と精神。自然石と向き合い、水と共生しながら積み上げる穴太積みの哲学。そして、何百年先の景色をつくるという職人の覚悟。
雨音が響く庭園を眺めながら、日本の風景を支え続ける仕事について、お話を伺いました。

旧竹林院の茶室で対談する仁村紗和と粟田純德

01.祖父から受け継いだもの

対談中の粟田純德
仁村:
粟田さん、今日はよろしくお願いいたします。
今日初めて石積みという仕事や文化に触れたんですけど、職人さんの経験と知恵の積み重ねだったり、高い技術力や歴史をとても感じました。
改めて、粟田さんがこの道に進まれた背景を教えていただけますか。
粟田:
もともと穴太衆の家に生まれたので、自然とそうなりましたが、きっかけは、やはり先代の祖父(十三代目粟田万喜三氏)ですね。祖父の仕事をずっと見てきたので、それに憧れてこの仕事に入りました。
仁村:
受け継ぐことに対して、迷いみたいなものはなかったんですか?
粟田:
もう、生まれたときからの宿命みたいなものですよね(笑)。
特に祖父の影響はとてもありました。小学校の頃から春休みや夏休みになると、一緒に出張へ連れて行かれて、休みの間はいろんなお城を回っていました。
小学校の頃は、各地のお城でラジオ体操をしていましたね。
そういう環境で育てられたので、迷うこと自体はあまりなかったです。
仁村:
そうなんですね。でも、お祖父様の姿を見て、「かっこいい」と思っていらっしゃったんですもんね。
粟田:
そうですね。かっこよかったです。そして「すごい人やなぁ」と思っていました。
子どもの頃からずっといろんな現場へ連れて行かれていたので、石積みは本当に身近な存在でした。
自然石を積み上げた穴太積みの石垣
仁村:
穴太衆の技術や精神についても教えてください。
粟田:
技術的なことは、なかなか言葉で伝えるのが難しいんですが、僕らの積み方は、自然石をそのまま積んでいきます。
自然石はいろんな形がありますよね。それを組んでいくというのは、なかなか難しいことなんです。
仁村:
加工せずに、自然のままの石を積んでいくということですよね。
粟田:
そうです。そのままの形で積んでいきます。
普通の石積みは加工して形を合わせたりできますが、自然石だけはそういうわけにはいきません。
そこが穴太衆積みの特徴でもありますし、一番難しいところでもあります。
だから、技術を「こうですよ」と一概に言葉で伝えるのは難しいですね。
仁村:
きっと比重だったり重さだったり、理屈はあるんでしょうけど、それ以上に経験を積み重ねていくことで身につく感覚が、すごく大事なんだろうなと思いました。
粟田:
そうですね。やっぱり経験しないと分からないというか、できないというか。経験の積み重ねになってきますね。
仁村:
石を選ばれるときって、何か特徴や基準はあるんですか?
粟田:
作業をする前に、頭の中で石垣を想像します。
図面がないので、その想像に合う石を自分で選んで持ってきて、組んでいきます。
でも、その想像がなかなか難しくて、それにも経験が必要なんです。
想像したとおりに積んでいくというのは、長年経験していないとなかなかできない作業ですね。
石の組み方を確かめる粟田純德
仁村:
それは、どうやって学んでいくものなんですか?
粟田:
僕は祖父の弟子なんですが、祖父が手取り足取り教えてくれたわけではなくて、「見て盗め」という教え方でした。
祖父に「ここを積んでみい」と言われて積んでも、あかんかったら何も言わずに壊されるんです。しかも、どこが悪いかは教えてくれません。「自分で考えろ」と。
祖父は、「耳で聞いたことは三日で忘れるけど、体で覚えたことは一生忘れへん」とよく言っていました。
だから何回も同じことをやって、自分で考えて工夫しながら覚えていく、そんな感じでした。
仁村:
それが、先代から受け継がれてきた精神だったんですね。
粟田:
そうですね。昔かたぎの人なので、本当に厳しかったです。
毎日怒られていましたし、名前でまともに呼んでもらえなくて、若い頃は「コラ」「ボケ」「カス」みたいな呼び名でした(笑)。でも、それで腹が立つことはあんまりなかったです。
今考えたら、コンプライアンス的にはあかんですけどね。
対談する仁村紗和と粟田純德
仁村:
それでも、お祖父様へのリスペクトがあったから続けられたんでしょうね。
粟田:
一緒に仕事をすることで、その凄さが余計に分かったんです。
「本当に石の声が聴こえているんじゃないか」と思うくらい、石がきれいにはまっていく。
僕らは先祖代々、「石の声を聴いて、石の行きたいところに置いてやれ」と言われてきました。
祖父と仕事をしていると、本当に石が「ここへ行きたい」と言っているように見えるくらい、ぴったりとはまっていくんです。
それを見て、すごいなと感心しましたし、余計に尊敬しましたね。

02.石の声を聴き、
水と仲良くする。

仁村:
インタビューが始まる前にもお聞きした「石の声を聴く」と、「水と仲良くする」という言葉が、すごく印象的でした。
粟田:
「石の声を聴く」というのは、石の形や重さ、凹凸をよく見て、
その石が最も安定する向きや場所を見極めることです。
こちらの都合で無理に押し込むのではなく、「この石は、ここに置けば落ち着く」という場所を探していく。
石を積むというより、一つひとつの石が持つ個性を読み取り、収まるべきところへ導いてやるような感覚ですね。
ただ、穴太衆が大切にしているのは、表から見える石だけではありません。
実は、一番重要なのは見えない部分なんです。
石垣の裏側には、「栗石(ぐりいし)」と呼ばれる小さな石がたくさん入っています。
細かな石を入れることで水はけが良くなり、後ろからかかる土圧も軽減されます。
日本は地震が多く、雨もよく降ります。だから、地震の揺れや水圧を無理に抑え込むのではなく、
水を逃がしながら共存できるように積んでいく。それが「水と仲良くする」ということです。
石垣の間を流れる水
仁村:
なるほど。ちゃんと水の通り道を作ってあげることも大事なんですね。
粟田:
それがすごく大事なんです。
そのために後ろへ栗石を入れるんですが、今はコンクリートやボンドで固める工法もありますよね。でも、それだと水が抜けなくなってしまう。
僕らは全部栗石で施工するので、その隙間から自然に水が抜けてくれます。
だから、水圧にも耐えられる石垣になるんです。
仁村:
今の技術だったらコンクリートで固めることもできますけど、ありのままの自然石を使って、水の流れもちゃんと考えてあげる。自然と一緒に生きるというか、自然を生かしていく考え方が、穴太衆ならではの精神なんですね。
粟田:
そうですね。素材そのものを大事にするということですね。
無理に形を変えたり壊したりするんじゃなくて、そのものと共存していく。
石積みだけじゃなくて、世の中とも一緒やと思いますが、それが大事なんだと思います。
そういう精神は、昔からずっと受け継がれていますね。

03.穴太衆が生まれた町、坂本。

坂本の石垣を見つめる粟田純德
仁村:
粟田さんは全国のお城や石垣にも関わっていらっしゃいますが、ここ坂本という町はどんな場所ですか?
粟田:
坂本は、もともと穴太衆が生まれた土地です。
「穴太衆」という名前自体も、この辺りの地名が由来になっています。
昔はこの辺が「穴太村」っていう村で、この辺にはたくさん石工が住んでいて、そこからつけられた名前なんです。
穴太衆は世襲ではなく、戦国時代から免許制でした。地方で活躍する棟梁も坂本に戻って修業を重ね、この地で認められて初めて「穴太衆」を名乗ることができたんです。
仁村:
坂本が免許を取る場所だったんですね。
粟田:
そうです。穴太衆にとっては、サンクチュアリのような場所ですね。
引退した穴太衆の親方たちも坂本へ帰ってきて、若い職人を育てる。
昔はそういう制度だったんです。
仁村:
今日初めて坂本の町へ来たんですけど、石垣がすごく印象的でした。
粟田さんご自身、思い入れのある石垣ってありますか?
粟田:
そうですね。この辺り一帯は子どもの頃から遊んでいた場所ですし、先代たちがずっと管理して、直してきた石垣もたくさんあります。
その中でも一番好きなのは、「滋賀院門跡」の石垣ですね。
先代も先々代も一番気に入っていた場所で、穴太衆の特徴がすごくよく出ている石垣なんです。
大きな石と小さな石のバランスが本当に良くて、迫力があって、自然石らしい石垣になっています。
滋賀院門跡の石垣

04.答えが出るのは、
何百年も先。

対談中の仁村紗和
仁村:
私もお城へ行くと石垣を見るのがすごく好きなんです。「どうやってここまで運んできたんやろう」とか考えたりして。今日こうしてお話を伺っていて、設計図もない中で積み上げていくことに驚きました。積み終わったときに、「これで大丈夫」「この石垣は何百年ももつ」という確信みたいなものはあるんですか?
粟田:
確信自体はないです。
僕らは、先祖代々言われてきたことを着実にこなしているだけなので、答えが出るのは何百年も先なんです。
だから、僕が積んだ石垣が100年ぐらいで崩れたら、「十五代目の腕は下手だったな」と言われるだけです。
仁村:
100年でも、すごいことですけどね。
粟田:
でも、お城自体が400年、500年と残っていますからね。
それでもまったく崩れていない石垣もあります。
だから100年ぐらいだったら、「下手くそやったな」と言われてしまいますね(笑)。
仁村:
じゃあ、今はまだ分からないんですね。
粟田:
分からないですね。
地震が来て壊れる可能性もありますし、それでも「下手くそや」と言われます。
400年間残っているお城も、一度も地震に遭っていないわけではありません。
そういうことを考えると、穴太衆を見る目というのは、本当に厳しいですね。
仁村:
さらに職人さんの数も減っていると伺いました。すごく責任のあるお仕事ですよね。
粟田:
そうですね。今までずっと先祖代々続いてきた職業なので、なかなか絶やすわけにはいきません。そこが一番難しいところですね。
旧竹林院で対談する仁村紗和と粟田純德

05.日本の景色を、
未来へ残す。

仁村:
この技術や文化を次の世代へ伝えていくこと、とても大切なお仕事だと思います。
若い世代へ伝えるときに、大事にしていることはありますか?
粟田:
日本の伝統文化や技術は、世界に誇れるものです。
だから、それをどう維持していくか、どう管理していくかというところに、もう少し焦点を置いて見守ってもらえたらと思います。
それと、うちで働く従業員には、この技術や文化の価値をもっと理解してもらって、しっかり残していってほしいという思いがあります。
粟田純德に質問する仁村紗和
仁村:
穴太積みを未来へつないでいくためには、どんなことが必要だと思いますか?
粟田:
やはり経験が大事な仕事なので、絶対的に必要なのは、仕事量ですね。
でも今は、10年、20年前に比べても仕事量がかなり減っています。
僕ら穴太衆の仕事が有名になった理由は、「強固」で「崩れない」ということなんです。
でも、崩れない分、仕事がないんですよね(笑)。
仁村:
崩れないから、補修の依頼も来ない。技術の高さゆえに、次の仕事が生まれにくいということですね。
粟田:
そうです(笑)。強すぎて、仕事がない。
だから、ちょっと先祖を恨む部分もありますけど(笑)。
でも今は、石垣に対して「古臭い」というイメージを持っている方も多いので、家の庭にもなかなか使ってもらえません。
だからこそ、もう少し日本の伝統文化そのものに興味を持ってもらえたらと思っています。
仁村:
私自身も、石垣は昔の人がつくったもの、というイメージがあったので、もっと多くの方に知っていただきたいですね。
粟田:
石垣というのはあくまで裏方の仕事なんです。
お城でもそうですけど、皆さんはお城と聞いたら「天守閣」をイメージされると思います。
僕らは、それを支える土台を作っているというイメージですね。
だから、裏方の仕事を徹底してやっているんですけど、その良さをもう一度、皆さんに再認識してもらえたらと思っています。
雨の坂本を歩く仁村紗和
仁村:
最後に、まちを元気にする「おけいはん」として、これから目指していきたいところや、未来に残していきたい景色を教えてください。
粟田:
日本のより良い文化として、昔の日本の雰囲気を残していきたいと思っています。
海外の方も、そういう古い日本の景色や文化を求めて来られていると思うんです。
近代的なものばかりではなくて、こういう昔からあるものを残していきたい。
僕らは、そういう景色を残していくことで、日本をもっと元気にして、外国の方にも日本の良いところをたくさん見てもらいたいと思っています。
仁村:
先代から受け継がれてきた歴史や知恵、技術が海を越えて、海外でも活かされているというのは、本当にロマンがありますね。
粟田:
今もちょうど、アメリカで仕事をさせていただくお話があるんですけど、今度はシアトルの日本庭園で仕事をさせていただく予定です。
海外へ行くと、日本の技術や文化を本当にリスペクトしてくださるので、すごく誇りに思えます。
改めてその価値を実感できますし、場所や環境も違うので、自分自身も新鮮な気持ちで仕事ができます。
海外の方にも、もっとこういう技術を知ってもらいたいですし、そういう活動を通して、日本をより元気にしていきたいと思っています。
仁村:
粟田さんのお仕事は、何百年も先の人たちが見る景色を作っている仕事なのだと感じました。本当にかっこいい仕事だと思います。これからのご活躍も楽しみにしております。
今日はありがとうございました。
旧竹林院の庭園を眺める仁村紗和と粟田純德

● 対談の全篇動画はこちら

SPOT DATA

穴太衆の石積みを訪ねる

対談で触れた石積みの景色を、坂本・比叡山で実際にたどってみませんか。

滋賀院門跡の建物外観

坂本エリア

滋賀院門跡

小堀遠州の作と伝わる庭園と、穴太衆積みの石垣が見事な格式ある門跡寺院です。

滋賀院門跡周辺の穴太衆積みの石垣と坂道

アクセス坂本比叡山口駅下車 南西へ徒歩約10分

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旧竹林院の茶室と庭園

坂本エリア

旧竹林院

延暦寺の僧侶の隠居所だった里坊のひとつ。八王子山を借景にした庭園が広がります。

旧竹林院の石垣と松、表門付近

アクセス坂本比叡山口駅下車 西へ徒歩約10分

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西教寺の本堂と境内

坂本エリア

西教寺

天台真盛宗の総本山。凛とした境内に、重要文化財の本堂や客殿などが残ります。

西教寺の石垣と堂宇

アクセス坂本比叡山口駅下車 北へ徒歩約20分

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比叡山延暦寺の横川中堂と石積み

比叡山エリア

比叡山延暦寺 横川中堂

比叡山全域に広がる延暦寺の横川エリア。朱塗りの堂宇と石積みの景観を楽しめます。

比叡山延暦寺の案内表示と石積みの参道

アクセス叡山電車八瀬比叡山口駅から叡山ケーブル・ロープウェイ 比叡山頂駅から比叡山内シャトルバス 延暦寺バスセンター下車すぐ / 坂本比叡山口駅から坂本ケーブル ケーブル延暦寺駅下車 北西へ徒歩約10分 / 三条駅・出町柳駅からバス 延暦寺バスセンター下車すぐ

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