
第212回
京都と船

第212回
京都と船

高瀬川
京阪的京都ツウのススメ
第212回 京都と船
京都で見られた様々な船
京都では古くから、娯楽や物流の手段として様々な船が運航していました。
今回は、京都で見られた船について「らくたび」の若村亮さんが解説します。
船の基礎知識
其の一、
京都では古くから観光や物流に船が使われていました
其の二、
京都の観光船のルーツは平安貴族の船遊びだと考えられます
其の三、
伏見港は京都の舟運の要衝として盛んに活用されました
平安貴族の船遊びが観光船へと発展
美しい風景を眺めながら、非日常の雰囲気を楽しむ船遊び。京都では今も様々な観光船が運航していますが、その始まりは平安時代に宮廷の貴族が川や池に船を浮かべて詩歌管弦を楽しんだ船遊びにあります。特に、嵯峨天皇や宇多天皇、そして藤原道長が船遊びを好んで楽しんだことは有名です。嵯峨天皇の船遊びがルーツである大覚寺の「観月の夕べ」では、貴族が乗ったとされる龍頭鷁首舟(りょうとうげきすせん)を今でも体験することができます。
秀吉の開いた伏見港が舟運の拠点
船は物流の手段としても重要でした。京都の舟運は大阪湾とつながる淀川などを通じて行われていました。特に豊臣秀吉が伏見城築城の際に、淀川水系に整備した伏見港は交通の要衝として繁栄。伏見港と大坂を行き来した船は三十石船(さんじゅっこくぶね)と呼ばれ、30石(約4.5トン)の物資を運んでいました。また、京都の市街地へは高瀬川が利用され、高瀬舟という小型船が使われていました。今回は京都で運航していた様々な船を解説します。
貴族たちの船遊び
平安時代の貴族の船遊びはとてもにぎやかでした
貴族たちは龍頭鷁首舟という船に乗って船遊びを楽しみました。二隻一対で、1隻には竜の頭、もう1隻には鷁(げき)と呼ばれる想像上の鳥の頭の彫刻が飾られています。この船を川や池に浮かべ、船上での雅楽や舞、和歌などを楽しみました。『源氏物語』には、「大きい池の中心に出たときには、外国に旅している気分になった」と船遊びをした女房達が感動している場面があります。

今でも
三船祭(みふねまつり)
毎年5月の第3日曜に京都・嵐山の大堰(おおい)川(右京区)で行われる車折神社の例祭。平安時代、宇多天皇が大堰川で船遊びをしたことにちなんで、平安時代の船遊びを再現しています。

平安時代後期に成立した歴史物語『大鏡』に、漢詩・和歌・雅楽それぞれに秀でた人を乗せた3隻の船を川に浮かべて船遊びをするシーンがあり、これが三船祭の名称の由来だとも言われています

観月の夕べ
(かんげつのゆうべ)
嵯峨天皇の離宮を前身とする大覚寺(右京区)。毎年中秋の名月の時期には、天皇の船遊びにちなんで、境内の大沢(おおさわの)池に龍頭鷁首舟を浮かべます。

物流の要とも言える舟運
鉄道や車の少なかった時代、船は物流の要でした
かつて京の都への物流は舟運が中心でした。桂川や淀川、宇治川などが使われましたが、安土桃山時代に豊臣秀吉が伏見港を起点とした淀川水系を整備すると、天下の台所と呼ばれた大坂と京を結ぶ大動脈となりました。三十石船と呼ばれる積載約4.5トンの船が頻繁に行き来し、物資だけでなく、人々の移動手段としても活躍しました。

今でも
十石舟
(じゅっこくぶね)
伏見では、三十石船を再現した観光船「十石舟」を運航しています。宇治川派流の流れに乗って約50分かけて酒蔵のまちを巡ります。
十石舟が通る宇治川派流は濠(ほり)川とも呼ばれ、豊臣秀吉によって伏見城築城に必要な資材を運ぶために開削させたものです
大津・びわ湖方面との物流は長く人の力や馬が主流でしたが、明治時代に開通した琵琶湖疏水によって、物量・速さともに飛躍的に改善されました。疏水船は物流だけでなく、旅客船としても活用され、1895(明治28)年には年間約30万人が利用しました。

今でも
びわ湖疏水船
(びわこそすいせん)
春と秋の期間限定で、琵琶湖疏水を体感できる「びわ湖疏水船」が京都・蹴上と滋賀・大津との間で運航されています。
疏水船が京都から大津へ向かう際には水の流れと逆になるため、明治時代は陸から縄で船を引っ張り、人力で動かしていました。そのため、疏水の脇には人が通る陸路も整備されていました

ナビゲーターらくたび 若村 亮さん
らくたびは、京都ツアーの企画を行うほか、京都学講座や京都本の執筆など、多彩な京都の魅力を発信しています。
制作:2026年04月
