湖都から古都へ 鉄の道

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大津エリア 京阪膳所〜三井寺〈石山坂本線〉

  • 官設鉄道スイッチバック跡地
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1京阪膳所駅周辺

  • 膳所駅 過去の写真
  • 膳所駅 現在の写真
  • 石山坂本線 京阪膳所駅 最大勾配33.0‰ 1913(大正2)年
    大津電車軌道 馬場駅として開業
    1929(昭和4)年
    合併により京阪電気鉄道 馬場駅となる
    1937(昭和12)年
    膳所駅前駅に改称
    1953(昭和28)年
    京阪膳所駅に改称

官設鉄道スイッチバック跡地

高低差を解消する日本初?のテクニック

びわ湖浜大津駅から膳所方面に向かう電車の先頭からは、正面にJR膳所駅が見えます。一瞬、膳所駅に入りそうになりながら、左にカーブして京阪膳所駅に到着。実はここ、昔は膳所駅とつながっていました。かつて官設鉄道が敷いた線路を、現在京阪電気鉄道が使っているのです。(右下図参照)ここでちょっと不思議な点が。大津駅(現・びわ湖浜大津駅)から京都方面の線路がありません。なぜ官設鉄道は大津と京都を直線で結ばずに、膳所駅から大津駅に線路を引いたのでしょうか。大津駅から京都へ向かう逢坂山トンネルまでは1kmあまりでしたが、高低差が45mあり、当時の蒸気機関車ではこの勾配を克服することができなかったのです。そこで、坂の中腹にある馬場駅(現・膳所駅)までゆるやかな勾配で迂回し、そこで折り返して(スイッチバック)京都へ向かっていたのです。このスイッチバックは日本初※ともいわれています。
※諸説あり

◎京阪膳所駅・JR 膳所駅
◎車窓からも見ることができます

今昔写真を比べてみよう

京阪先頭車両からはかつての合流線跡が見える
開業当時の官設鉄道

2石場駅周辺

  • 石場駅 過去の写真
  • 石場駅 現在の写真
  • 石山坂本線 石場駅 1913(大正2)年
    大津電車軌道 石場駅として開業
    1929(昭和4)年
    合併により京阪電気鉄道 石場駅となる
    1965(昭和40)年
    移設工事竣工、使用開始

線路沿いの石積み

汽車が湖の上を走っていた!?

石場は、かつてこの辺りに石工が多く住み、湖辺に多くの石材が積んであったことに由来する地名。線路沿いにも多くの石積みが残ります。昔は線路近くまでびわ湖が迫っていたのです。今でこそ、埋め立てによって電車は街の中心を走っていますが、敷設時、あえて街のはずれに建設したのです。かつて官設鉄道の工事計画が持ち上がった際、住民が「蒸気機関車のような物騒なものを街中に走らせるわけにはいかない」と猛反対。そこでびわ湖の上に土手道を築き、線路を作ったと言われています。当時は、湖面を汽車が走っているように見えたことでしょう。線路沿いのびわ湖と反対側にある川のような跡も、線路と陸の間に取り残されたびわ湖の名残。ご乗車の際はぜひ車窓から湖上を走る電車を想像してみてください。

◎石場駅・島ノ関駅 下車すぐ

今昔写真を比べてみよう

手前の川と挟んで、線路の向こうはびわ湖が広がっていました。

常夜灯

石場常夜燈
石場常夜燈
小舟入常夜燈
小舟入常夜燈
急がば回れ"水の路"

石場—島ノ関には線路を挟んで2つの石灯籠「石場常夜燈」と「小舟入常夜燈」があります。いずれも湖上交通の道標として、江戸時代に湖岸で灯台の役目を果たしていたもので、特に線路より内陸側の「小舟入常夜燈」は、建設時と変わらぬ場所にあり、線路が湖上にあったことを雄弁に物語ります。もうひとつの「石場常夜燈」は、「小舟入常夜燈」と共にびわ湖の対岸にある東海道の草津宿・矢橋(やばせ)から大津宿・石場を結んでいた「矢橋の渡し」の船着場です。この航路は比叡山から吹く風などで度々遅れを生じ、陸路の方が早く着くこともあったため「武士のやばせの舟は速くとも急がば廻れ瀬田の長橋」と詠われました。これがことわざの「急がば回れ」の語源なのです。現在は鉄道が発達し、圧倒的に"鉄の路"が速くなりましたが、ゆったりとびわ湖を遊覧すれば、船上から眺める景色はどこも豊かで美しく、「あっと言う間」かもしれません。

◎石場常夜燈:石場駅下車 北へ徒歩約5分
小舟入常夜燈:島ノ関駅下車 南東へ徒歩約5分

3びわ湖浜大津駅周辺

  • 浜大津駅 過去の写真
  • 浜大津駅 現在の写真
  • 石山坂本線/京津線 浜大津駅 最大勾配5.6‰ 1880(明治13)年
    官設鉄道の大津駅として開業
    1925(大正14)年
    京阪電気鉄道 京津線浜大津駅が少し離れて開業
    1969(昭和44)年
    江若鉄道廃止および国鉄浜大津駅廃止
    1981(昭和56)年
    石山坂本線浜大津駅と京津線浜大津駅を統合
    2018(平成30)年3月
    駅名変更

三線軌条

三線軌条
ひとつの線路に3つの鉄道が走る!?

明治時代から交通の要衝として栄えた大津には、数多くの鉄道が走っていました。その中心である馬場(現・京阪膳所)・大津(現・膳所)—浜大津(現・びわ湖浜大津)には大正時代、大津電車軌道(現・石山坂本線)、官設鉄道が乗り入れていました。しかし、レール幅が大津電車軌道は標準軌(幅1,435mm)であるのに対し、官設鉄道は狭軌(幅1,067mm)のため、同じ線路を使うことができません。そこで用いられたのが三線軌条です(現在三線軌条は残っていません)。3本のレールのうち1本を共有し、他の2本の幅で狭軌・標準軌に幅を合わせる手法で、京都市電と京都電気鉄道の共用区間で用いられたのが日本で初めてとされています。大津では1969(昭和44)年まで続き、一時は江若鉄道も乗り入れ、3路線で同じレールを共有していました。

◎びわ湖浜大津駅下車すぐ
◎現在三線軌条は残っていません

4三井寺駅周辺

  • 三井寺駅 過去の写真
  • 三井寺駅 現在の写真
  • 石山坂本線 三井寺駅 1922(大正11)年
    大津電車軌道 三井寺駅として開業
    1929(昭和4)年
    合併により京阪電気鉄道 三井寺駅となる

三井寺駅

延伸の夢が生んだ高床式ホーム

三井寺駅の坂本比叡山口方面行きホーム下には、不自然な階段状の段差があります。じつはここにも歴史の一端が隠れています。三井寺駅はもともと大津電車軌道が開業した駅。その後太湖汽船と合併して琵琶湖鉄道汽船となりますが、三井寺から近隣路線を走る江若鉄道とは常にライバル関係にありました。そこで琵琶湖鉄道汽船は、遠方への延伸を計画。高速鉄道の主力として生まれた100型(後の京阪初代800型)は、京阪線のような高い位置にドアがある高性能車。これまでの路面電車の低いホームでは対応できず、乗り替え駅の三井寺駅には両方の電車が停車するため、高低差のあるホームが生まれたのです。

◎三井寺駅
琵琶湖鉄道汽船100型(京阪800型)
琵琶湖鉄道汽船100型(京阪800型)
三井寺駅の坂本比叡山口行きホーム下をよく見てみると・・・

大津絵の道

敷地境界標
浜大津から三井寺下まで一駅分の江若鉄道散歩

1969(昭和44)年、惜しまれつつ廃線となった江若鉄道。現在、びわ湖浜大津駅から三井寺下駅までの路線跡は、江戸時代よりこの地域に伝わる「大津絵」をモチーフにした散歩道となっています。陶板で作られた大津絵を眺めつつ歩けば、ちょっとした歴史&芸術散歩を堪能できます。また、かつての面影はほかにも。琵琶湖疏水をまたぐ大津絵橋にあるレンガ造りの橋台は、江若鉄道時代のものがそのままに。当時を知る方には、懐かしい光景が広がります。さらに、近江の「O」と若狭の「W」を組み合わせた江若鉄道の社章を刻む敷地境界標もあちこちに点在。水も、人も、鉄道も通ったこの道には、今も歴史が息づいています。

◎びわ湖浜大津駅下車 北西へ徒歩約5分/
三井寺駅下車 北東へすぐ

知られざる江若鉄道誕生秘話

1921(大正10)年から1969(昭和44)年まで、浜大津—近江今津を走っていた江若鉄道。
その成り立ちには、地域住民と政治家たちのドラマがありました。浜大津や湖東地域は明治時代より鉄道の敷設が行われていましたが、湖西地域はそこに大きく水をあけられた状態で、湖西から外へ出るだけで1日以上かかることも。「陸の孤島」とも揶揄されるこうした状況の中、人々は県内巡回で高島郡(現 高島市)を訪れていた県知事、森正隆に鉄道敷設を直願。その要望の多さ、必死さに心打たれた知事は、自らの信任厚い人物を高島郡長に抜擢。赴任の一カ月後には、現地調査を開始させました。
しかし鉄道敷設は一大事業。敷地の確保、敷設免許の取得、なにより資金面での大きな壁が立ちはだかります。それでも、地域の人々は鉄道敷設の願いの火を消すことはありませんでした。

浜大津駅—近江今津駅を走っていた江若鉄道

浜大津—近江今津を走っていた江若鉄道

第一次世界大戦後の不況の中でも、住民の一人ひとりが自らの蓄えを出し合い、資金調達を実現。また、大津を起点とするために、すでに大津電車軌道が取得していた坂本までの敷設免許を譲受するにあたっても、高島郡長が自らの本拠地高島郡において、所属政党の党員をすべて離党させて敵対政党に入党させるという異例の政治判断を行い、鉄道省が許可。開業にこぎつけます。
惜しくも国鉄湖西線開通に伴い廃線となりましたが、その姿や人々の思いは、この地域に残された遺構の数々や写真、地域の人々の言葉によって今も語り継がれています。

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