京都ツウ・ウオーク

第3回「第3回「王朝の歴史を探る」」 ~第3回「王朝の歴史を探る」~ 2011年4月9日(土)開催

桜の花が随所に咲き誇る4月。
第3回目の京都ツウ・ウオークは、春の一般公開を開催中の京都御所を中心に、春の京都を歩きました。

レポート風景

神宮丸太町駅の改札口前に集合。
今回もたくさんの方にご参加いただきました。

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いよいよ、出発です!
案内役はおなじみ、らくたびの森明子さん。
信号待ちでちょっと足を留めるような時にもすかさず話題を振って、楽しませてくれます。

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丸太町橋を渡ってすぐのところにあるレトロな洋館。
元は1923(大正12)年に建てられた旧京都中央電話局上分局の庁舎でした。
設計は、東京や大阪の中央郵便局を手がけた吉田鉄郎氏。
1959(昭和34)年の廃局以来、様々な用途に活用されたため内部はかなり変わってしまいましたが、外観は当時の姿を残していて、京都市の登録有形文化財に登録されています。
現在はスーパーマーケットが入っています。

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丸太町通から、寺町通を少し下がります。
寺町通は、豊臣秀吉が京の町区画を改造した際、数々の寺を集めた通り。
そのため“寺町”と呼ばれるようになったそうです。
東から町に攻め入った軍勢が寺院の密集地域を通ることで、戦意が低下するよう図ったとも言われ、御所付近をできるだけ騒がせないようにとの配慮だったとか。

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向かった先は下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)です。
もとは今よりずっと北の、御霊神社(上御霊神社・上京区)のすぐ南にありましたが、何度か移転した後、秀吉の区画改造にともない、現在地へ。
本殿は仮皇居の内侍所(ないしどころ)を、表門は仮御所の建礼門を1791(寛政3)年に移築したもので、どちらにも菊の御紋が見られます。

ご祭神は早良親王(さわらしんのう)ら非業の死を遂げたと言われる8柱の神様。
天災や疫病などを怨みを持って死んだ人や非業の死を遂げた人の仕業とみなし、これを鎮めて「御霊(神様として祭られた霊)」とすることでたたりから逃れようとする御霊信仰の神社です。

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ここには、フゲンゾウザクラ(普賢象桜)と呼ばれる桜があります。
残念ながら、このときはまだつぼみでしたが、花が咲くと、2本あるおしべが象の牙のように突出していて、それが象に乗った普賢菩薩のように見えることから、この名前で呼ばれるようになったそうです。

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例年4月中旬から下旬にかけてこのような花が咲きます。

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それではいよいよ京都御苑に入っていきます。
広くゆったりとした空間に青空が大きく、ここにいるだけでのんびりとした心地になります。
散歩を楽しむ人やベンチで一息つく人々の姿が見られます。実は、京都御所を取り囲む御苑はもともと公家の邸宅がズラリと並んでいたところ。
ところが、明治天皇が東京に移られた際、公家の皆さんもこぞって東京へ。
そのため、荒れ果てた公家屋敷が建ち並ぶ場所となってしまい、そのことを嘆いた明治天皇の命により整備され、また市民から花の寄付などもあって、今のような四季折々楽しめる場所になりました。
現在は国民公園として、地元の人々にとって憩いの場となっています。

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御苑に入ってまず向かったのは、学習院跡。
1847(弘化4)年、孝明天皇によって開講された学問所で、公家をはじめ御所に勤める役人とその子弟に国学や歴史を教え、「学習院」と呼ばれていました。
明治天皇が東京へ移られたときにこの学問所も一緒に東京へ。
華族学校、華族女学校、幼稚園などを設けながら、現在の学校法人学習院となっていきました。
学習院跡のそばには、マツの木から芽を出し立派に成長したヤマザクラが咲いていて、「サクラマツ」と呼ばれています。
マツは枯れて倒木となってしまいましたが、ヤマザクラは成長を続け、今年も美しい花を咲かせていました。

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京都御苑と言えばご存知でしょうか? 自転車道!
苑内は砂利が敷かれていて走りにくいため、自転車に乗る人は前に通った人のあとをたどっていきます。
何度も同じ所を自転車が走るため、1本の細い道が出来上がるというわけです。

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こちらは、御所の正門とも言うべき「建礼門(けんれいもん)」です。
御所には5つの門がありますが、この門を通れるのは天皇陛下ただお1人。
普段はしっかり閉ざされています。

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ここでいったん、蛤御門(はまぐりごもん)を通って御苑の外へ出ます。
向かった先は、烏丸通を挟んですぐそばにある、護王神社(ごおうじんじゃ)。
祭神は、奈良時代から平安時代にかけて宮中に仕え、皇統の守護・平安京遷都・日本初の私立学校の設立に尽力したと言われる和気清麻呂公命(わけのきよまろこうのみこと)と姉の弘虫(ひろむし)。

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拝殿前には狛犬ならぬ狛イノシシがキリリと立っています。
これは、京都から宇佐へと向かった和気清麻呂公を300頭のイノシシが現れ災難から守ったことから、イノシシを清麻呂公の守護神として神社に安置されるようになりました。
またイノシシに守られた際、清麻呂公が痛めていた足が不思議と治ったことから、足腰の健康回復・病気怪我の回復ご利益がある神社としても有名です。

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境内には、国家「君が代」に詠まれる「さざれ石」があります。
幅3m、高さ2mと、国内最大級の大きさです。

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再び御苑に戻り、本日のメーン、京都御所へ! ふだんは事前申込が必要ですが、年に2回、春と秋の一定期間(5日間ほど)のみ、申込なしで見学できる「一般公開」が行われます。
通常時の事前申込についてはこちらから。
今回は一般公開の期間中なので、宜秋門(ぎしゅうもん)から参入します。

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まず最初に見えてくるのが御車寄(おくるまよせ)。
昇殿(殿上の間に昇ること)を許された人が参拝する時の玄関です。
ここから、控え室・諸大夫の間(しょだいぶのま)へと廊下でつながっています。

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諸大夫の間は、身分の違いによって部屋が分けられています。
一番格の高い部屋が、この「虎の間」。
続いて「鶴の間」「桜の間」があります。

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紫宸殿へ。
右近の橘(霜除けのため、囲いが施されています)、左近の桜を従えて、何とも荘厳な姿。
重要な儀式を執り行う最も格式の高い正殿で、大正天皇や昭和天皇の即位の礼もここで行われました。

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近寄って中を見れば、天皇の御座「高御座(たかみくら)」と皇后の「御帳台(みちょうだい)」が置かれています。
今上天皇が即位される時、東京までこの高御座を解体してヘリで運んだそうですが、総重量は約80tだとか・・・

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次に、清涼殿(せいりょうでん)を見て、小御所(こごしょ)へ。
小御所の前には池を中心とした回遊式庭園「御池庭」が広がっています。
手前の敷き詰められた石の部分を洲浜といい、奥には石橋や欅橋(けやきばし)が掛けられ、多くの樹木が植えられています。
この池の前の庭を蹴鞠(けまり)の庭と言い、天皇が住まわれていた頃は、ここで蹴鞠が行われていたそうです。

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御学問所の前を過ぎ、茶室などのある御内庭(おないてい)を見ながら御常御殿(おつねごてん)を見学。
天皇が日常の住居として使われていた御殿で、御所の中で最も大きな建物。入母屋檜皮葺(いりおもやひわだぶき)の書院造りで、見事な襖絵が内部を飾っています。
御三間を見て、御所見学は終了。
これで実はまだ敷地の半分にすぎず、御所の広大さを思い知らされました。

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さてこの後は、近衛邸跡へ。
五摂家の1つで有力公家であった近衛家は、御所の北西に屋敷を構えていました。現在、その屋敷跡には、かつての栄華を示すかのように、約30本もの大小のシダレザクラが咲き乱れています。
御苑で一番早く咲くうえ、種類によって咲く時期が微妙に違うため、1カ月くらい楽しむことができるそう。
シートを広げて花見を楽しむ人や写真撮影をする人たちでにぎわっていました。

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今出川御門から御苑の外に出ると、目の前には同志社大学。
キャンパスには明治中期に作られたレンガ造りの校舎が5棟もあり、現在も使用されています。
1932(昭和7)年に建てられたこのアーモスト館は、ヴォーリズ事務所による設計です。

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今出川御門から真っ直ぐ北へ向かうと、相国寺(しょうこくじ)に到着。
臨済宗相国寺派大本山で、室町幕府3代将軍・足利義満による創建。
正式名称は「萬年山相国承天禅寺(まんねんざんしょうこくじょうてんぜんじ)」と言います。
有名な金閣寺、銀閣寺は相国寺の山外塔頭になります。禅宗では、インドの五精舎(初期仏教の5つの精舎)にならい、南宋時代末期の中国において禅宗の保護と統制のために格式の高い5つの寺を「五山(ござん)」と定めました。 鎌倉時代に日本に伝わった禅宗が隆盛を極めると、幕府が南宋にならって五山制度を導入。鎌倉五山、京都五山があり、相国寺は京都五山の第二位に列せられています。

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そして最終目的地・本満寺へ。
1410(応永17)年創建の日蓮宗のお寺で、開山の玉洞院日秀上人は近衛家ゆかりの人物。
天文年間(1532~55年)に現在地に移されました。
実は桜の隠れた名所として知られ、巨大なシダレザクラが悠然と佇んでいます。
すでに散り始めていたのですが、満開時の姿をぜひ見てみたいと思えるほど見事な桜でした。
また、山門から見える大きなソメイヨシノは、「地域の誇りの木」と呼ばれ親しまれています。

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本満寺を出て、賀茂川沿いをしばらく歩きます。
見事な桜並木が続き、大勢の人が花見に興じていました。

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解散は、賀茂川と高野川が合流して鴨川となる地点。
このあたりは府立鴨川公園になっていて、桜以外の季節に訪れても心地良く過ごせる憩いのスポットです。

桜や御所を堪能した充実の3時間。
京都御苑には、九条家の美しい庭園や、蓮の花で埋まるトンボ池など、まだまだたくさんの見どころがあり、季節によって違った楽しみがあります。何度でも訪ねてみたくなりますね。
次回もツウなウオークを企画していますので、お楽しみに!

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