沿線で旅する
東海道五十七次
東海道五十三次に4つの宿場を加えた東海道五十七次は、かつて江戸と大坂の高麗橋を結んだ街道沿いの宿場です。当時の面影が残る町並みやゆかりのスポットを京阪電車で訪ねてみませんか。
江戸時代に整備された宿場町「伏見・淀・枚方・守口」から大坂の高麗橋(こうらいばし)。
京阪沿線には宿場町の歴史が広がります。
さぁ、まだ知らない「つぎの旅」へ。
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第2回
三条大橋
三条
京の玄関口として栄えた交通の要衝
江戸・日本橋から始まる東海道五十三次の終点であった京都・三条大橋。国内初の石柱橋として、1590(天正18)年に豊臣秀吉が改修したとされています。江戸時代を通じて、京都の東の玄関口として重要な役割を担い、商人や旅人の往来で活気にあふれていました。その様子は歌川広重をはじめとする多くの浮世絵師も描いています。現在も人々でにぎわう交通の要であり、その歴史を受け継いでいます。

1833~34(天保4~5)年頃の制作とされる歌川広重による三条大橋
「東海道五拾三次 大尾 京師・三條大橋」国立国会図書館デジタルコレクション
弥次さん喜多さん像
江戸時代後期に十返舎一九(じっぺんしゃいっく)によって書かれた旅物語『東海道中膝栗毛』の主人公がモデル

粟田神社
京都の東の玄関・粟田口に鎮座し、東海道を旅する人々が安全を祈願したと伝わります

三条白川橋道標
1678(延宝6)年に立てられた京都最古とされる道標。当時から周辺が観光地であったことがうかがえます
三条大橋の擬宝珠にも注目
三条大橋はこれまで何度も改修・架け替えが行われていますが、擬宝珠の一部は残されてきました。「豊臣」の文字を含む銘文が刻まれたものの中には、1864(元治元)年の池田屋騒動の刀傷だと言われる跡が付いた擬宝珠もあります。

三条大橋
三条駅下車すぐ
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第1回
東海道五十七次とは
~江戸と大坂をつないだ宿場~旅人や物資が行き交った街道
1596(文禄5)年、豊臣秀吉は淀川の氾濫を抑え、大坂城と伏見城を最短距離で結ぶために淀川左岸に堤防(文禄堤)の築堤を命じました。その堤上の道が京街道となり、江戸時代には徳川家康が整備を開始。東海道五十三次との分岐点である現滋賀県大津市の髭茶屋追分から、伏見・淀・枚方・守口の4つの宿場を通り、高麗橋まで街道を延長。江戸と大坂を結ぶ東海道五十七次と呼ばれるようになりました。

東海道五十七次の西の終着地で、幕府が管理する公儀橋であった高麗橋
「浪花百景之内 高麗橋」 国立国会図書館デジタルコレクション京阪沿線にある4つの宿場町
第五十四
❶伏見宿
伏見城の城下町として栄えた後、人口2万人を超える大規模な宿場町として賑わいました。古くから酒造りが盛んで、伏見の酒は淀川を下り、大坂の船問屋を通じて江戸へ出荷されました。
第五十五
❷淀宿
桂川・宇治川・木津川が合流して淀川となる地で、古くから物資輸送の重要拠点でした。隣の伏見宿が近かったため比較的小規模でしたが、江戸時代には淀城の城下町として発展しました。
第五十六
❸枚方宿
京街道のほぼ中間地点で、三十石船の中継港として繁栄。淀川を進む船に「餅くらわんか、酒くらわんか」と呼びかけて、舟上で商いをする「くらわんか舟」はこの地ならでは。
第五十七
❹守口宿
文禄堤の上に形成された、東海道57番目となる最後の宿場。大坂との距離が近く、乗り継ぎ用の馬は置かれませんでした。守口大根などの野菜を使った守口漬けが名産品。


