再開発の始まり
大浅田:宮田さんとの出会いについては第1回のトークでも触れていますが、今回こうしてあらためてお話できることを楽しみにしておりました。まずはご紹介を兼ねて、枚方との関わりについてご来歴を含めてお話しいただけますでしょうか。
宮田:生まれは大阪市内でした。同志社香里中学校に入学したのをきっかけに、家族で枚方市に越してきました。大学卒業後は一旦企業に就職したものの、父親が不動産業を自営していたこともあって、起業して私も不動産業を始めました。不動産を手がけるのであれば、やはり土地勘が必要となります。枚方のことをもっと知り、わかるためにはその土地の友だちが必要だと考えてJC(枚方青年会議所)に無理矢理入れてもらったことから枚方との縁が広がっていきました。その後、JCの理事長を経て北大阪商工会議所の常議員になったのですが、ちょうどその頃にくずはモールの再リニューアルがありました。※1「なぜ、樟葉ばっかり?枚方市駅周辺はずっとそのままなのに。何度も再開発の話が浮上していると聞くけれど、どうなってるんだろう?」ということで、本格的に枚方市駅周辺の再開発について考え始めました。

枚方市駅周辺地区市街地再開発組合
理事長
宮田 明さん(みやた あきら)
枚方市駅周辺地区って、昭和期以降に駅前広場整備や連続立体交差事業、市街地再開発事業や民間開発による高度利用、複数の百貨店出店などによる商業施設の充実、枚方団地による住宅供給が図られて、まさに枚方の中心でした。しかしながら今ではいろいろな施設の老朽化が進み、北口駅前広場はバスや一般車両が混在して歩行空間も不十分だし、広域駅前拠点としての交通結節機能が時代に合わなくなってきていたんです。都市の防災性や安全性の観点でも何とかしないといけなくて、地元としても再開発は喫緊の課題でした。
大浅田:2013年に、当時の枚方市長が駅前のエリアを①街区から⑤街区までの5つのブロックに分けて再整備していこうというプランを打ち出して発表されていましたね。
宮田:ええ、商工会議所も一応、再整備に関わる委員としてプラン作成のチームに入っていました。しかし、“プランはあれど、具体的な決め手なし”と言う状態が続いていました。僕は地域振興委員会の委員長と言う立場もあって、何とかしなくてはと発奮したんです。しかし、私たちだけの力ではどうにもできませんでした。

京阪ホールディングス株式会社
執行役員
経営企画室まちづくり推進担当部長
<沿線開発、エリアマネジメント>
大浅田 寬(おおあさだ ひろし)
大浅田:その頃、京阪の枚方再開発計画も動いてはいたんですが、同じく具体的な動きが見えない…という状況でした。そこで、まずは地元の方々の意見を聞こうと2016年の1月に初めて商工会議所を訪ねました。その場に地域振興委員会の委員長として臨席されていたのが宮田さんです。今や私の人生で忘れ難い言葉の一つになっている「京阪、やっと来てくれたか」をそこで耳にすることになったのです。
宮田:そのときに京阪さんの枚方に対する思いやまちづくりの考えを聞きました。枚方のまちづくりを動かすために一緒に何かできるのではないかと思いましたね。それから、商工会議所と枚方市が事務局となり京阪さんにも入ってもらって枚方市駅周辺活性化協議会を組成しました。その後、活性化協議会の中で、まちづくりの勉強会をしたのですが、その勉強会が様々な企業・団体から参加しているメンバーの結束を一気に固めてくれました。
大浅田:勉強会には日建設計の西田さんをはじめ色々なまちづくりの専門家に来ていただきましたね。まちづくりの専門的な知識に触れ、勉強会に参加していた20~30人のメンバーが、ワクワクしながら学びを深めていきました。勉強会で純粋にまちづくりについてみんなで考えたことやそれによって生まれた結束が、再開発が動きだしたきっかけの一つになったと思います。
■再開発事業の動き
2018年10月 | 枚方市駅周辺活性化協議会の発足 |
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2018年12月 | 枚方市駅周辺地区市街地 再開発準備組合 設立 |
2019年10月 | 都市計画決定 |
2020年3月 | 事業計画決定、枚方市駅周辺地区市街地再開発組合 設立 |
2021年2月 | 権利変換計画認可 |
2021年2月 | 第3工区解体工事開始 |
2022年1月 | 第3工区新築工事着手・地鎮祭 |
2024年6月 | 第3工区竣工式 |
※1:1972年くずはローズタウンの要として開業した「くずはモール街」は2005年総建替えにより「KUZUHA MALL」としてリニューアル。
さらに規模を拡大し、大阪府下最大級のモールとして再リニューアルしたのが話題の2014年当時です。