テレビカーの歴史
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1954(昭和29)年9月 3日 |
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1882、1883号車にてテレビ放映開始。17型テレビに3素子アンテナの組み合わせでした。京都と大阪ではアンテナの向きをほぼ180度変える必要があり、乗務員室の操作器に合わせてアンテナを回転出来るようにセルシン装置を搭載し、走行している場所に合わせて乗務員がアンテナの向きの調整を行いました。 写真左側に写っている物が操作器です。目標とする指針までハンドルを回すと、それに合わせてアンテナが回転しました。 |
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1815、1816、1884、1885号車にテレビ搭載。同年、交通博物館における「新しい電車と客車」展に出品。関西最初のテレビ電車として広く紹介されました。 この年、乗客の方々約2200人からテレビに対するアンケート調査実施。「テレビはいらない」との答えは2.2パーセント、「少なくとも1列車に1台」を希望された方が70パーセントを超えました。一家に一台が夢の話だった頃の、テレビに対する関心の高さがうかがえます。 |
| 1886、1887号車にテレビ搭載。特急全編成にテレビカーの連結が完了しました。 | ||
1963(昭和38)年1月 8日 |
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1900系特急車新造。23型テレビに7素子アンテナと4素子アンテナを搭載したダイバーシティ方式(良好な画像の得られるアンテナに自動的に切替える)を採用し、セルシン装置によるアンテナ制御が不要になりました。 同年11月には淀屋橋地下線内での受信を可能にするため、漏えいケーブルを敷設しました。 |
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1971(昭和46)年5月25日 |
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3000系特急車新造。20型カラーテレビ、5素子アンテナを2台搭載。アンテナは走行区間に応じた定点切替方式としました。 カラーテレビになりますと、架線に流れる電流により発生した磁界の影響で、一般仕様の製品では色むらや色ずれが発生します。このため特別に設計されたテレビを搭載していました。 また、一部の車両にVTRを試験搭載していました。 |
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沿線の建造物による電波遮蔽障害に対する効果を確認するため、アンテナ4本を使用したアンテナ自動切替(ダイバーシティー方式)の受信性能実験開始。 | |
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3511−3111-3011+3512-3612-3112-3012の編成に、アンテナ4本によるダイバーシティ方式のテレビ受信システム搭載。 3511、3011、3512、3012の各車に2本のアンテナを設置していました。 |
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1989(平成元)年8月 5日 |
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8000系新特急車新造。21型カラーテレビ5素子アンテナを2台搭載し、ダイバーシティ方式としました。 3000系カラーテレビでの経験を生かし、車体側で十分な磁気シールドを施すことにより高価な特製受像器ではなく、一般仕様品を搭載できるように設計されています。 しかし、時代を経るにつれ、沿線に次々と高い建物が建ち、地上波を良好な状態で受信するのは大変むつかしくなって来ました。 |
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1992(平成4)年4月 |
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BS衛星放送受信システムを8000系に順次搭載。電波の届かない地下線へは地上に受信設備を設けVHFに変換、漏えい同軸ケーブルに送り出しています。車両におけるBSとVHFの切替は地下線への出入り口付近で自動的に行います。 写真のドーム状の物がBSアンテナです。内部では平面アンテナが電波追尾のため、回転と仰角調整を自動で行っています。 これらによって、地上波を受信するよりずっと安定してテレビ放送を受像できるようになりました。 |
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地上デジタル放送
受信実験 2004(平成16)年12月 |
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地上デジタル放送開始に伴い、受信実験を行いました。 実験には、家庭用のチューナ、アンテナを搭載して行いました。 結果は予想通り、低速および見通しの良い所では良好な受信状態でした。しかし、高速および八幡市以北で画像が乱れて、とても使える状態ではありませんでした。 |
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地上デジタル放送
受信 2006(平成18)年7月 |
受信実験から1年、移動体用の地上デジタルチューナが開発されました。 受信実験の結果、一部区間で画像の乱れが起きましたが全体的に良好な受信状態を得られました。 これにより、経年劣化による故障が発生しているBS衛星放送から地上デジタル放送に順次切り換えました。 また、32型液晶モニタを搭載し、大きな画面でご覧頂けるようにしました。 なお、地下線内ではデジタル放送が受信できないため従来のアナログ放送を受信しています。 |
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